身の回りに様々に起こる「問題」が問題なのではない

姪が小学校一年生になったばかりの頃
実家で過ごしていたら
姪と義姉が宿題の事で喧嘩になった場面に出くわした
姪は口から生まれたのか?言う位、口が立つ
義姉は普段大らかで怒らないけれど
譲らないところもある
両者一歩も譲らず
段々とエスカレートして
怒りのエネルギーで充満した
最初私は口論の内容で
一体何が原因でどうしたら治まるのか思案した
荒れ狂う姪を見ていたら
酷い言葉とは裏腹にヒリヒリと乾いた
何とも言えない痛みを感じた
私の思考以外のハートの部分で体が動いた
姪を抱き抱え別の部屋に連れて行き
姪が落ち着くまでハグをした
暫くして姪は
「ひーちゃんが雨を降らしてくれた」
とポツンと言った
教科書にあるお話で
山火事を雨が消した
という話から出た一言
彼女は幼稚園から小学校に上がって環境が変わり
とてもストレスを感じていたのだと思う
本当は不安で大変で守ってほしい気持ちだけど言えなくて
違う理由で大暴れして結局喧嘩になって…
彼女の心はボーボーと燃え盛る山火事だったんだ
雨が欲しいだけだったけど
言葉は火事を煽る風だったり薪だったり
火を大きくする一方だった
私自身この経験を何度も何度も繰り返した
私が姪のポジションで
「問題」を見つけて、または「問題」を作り出して
それを皮切りに感情を爆発させる
言葉は一人歩きをしてもう何が原因で
こんな状態になったのかさえ
わからなくなる
それでもこの問題は相手のせいだ!
と言い続ける
世間の正解という剣を振り回して
その戦いに勝つこと
自分の正義が正しい事を知らしめる事に必死になった
本当に言いたい事はいつも別にあった
という事に自分でも気が付いていなかった
ずっと
ずっと
何か「問題」が出てきたら(自分でも家族でも知り合いでも)
自分の心が火事になっているのかもしれない
自分でも気がつかないうちに…
必要なのは「解決策」ではなく
雨なのかもしれない
言葉だけでは何にもわからない
言葉にしないと何にも伝わらない
だから言葉を大切に扱う必要があるんだな
